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2008年07月09日

喫茶呼

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星野村「茶の文化館」です。


設計集団櫂の首藤さんがが提案した「茶の文化館」の基本コンセプトは”喫茶呼”でした。

「あなたを歓迎いたします。どうぞお茶をおあがりください。」というような意味です。

場を設え、お茶を点て、客をあたたかくもてなすことが、茶の文化だと考えました。

玉露の里に流れる朝霧をイメージして外観が設計され、

星野の谷の杉木立をイメージして内部が設計され、

あたかもお茶室へ客を導くように動線や庭が設計されました。

施設がオープンしてしばらくは、ホールに多くの展示物がありましたが、
久しぶりに訪れた茶の文化館のホールは、展示物が片付けられて、
「すすり茶」を楽しむ人々でいっぱいでした。

山の景色や谷の景色を楽しみながら、ぬるく甘いお茶をすする。

村の奥さん達が工夫してくれたお干菓子をいただく。

4度楽しんだ玉露の葉は、最後にポン酢で食する。

村の人たちのおもてなしを、ゆったりとした気持ちで受け取っていただく。

ここでしか経験できない時間が流れている。

設計時に構想したように建物が使われ、運営がさらに進化してゆく。


帰り際にもまたバスが着いて、若い人たちが、文化館への石畳の路地を楽しんでいました。

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2008年07月02日

取っ手

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今から77年前、パリ郊外ポアシ-に建てられた住宅のドアの取っ手です。
螺旋階段とスロープのある廊下から、リビングに入る、細いスチールフレームのガラスドアに付いています。

この住宅は世界中から見学者が絶えないので、取っ手のクローム鍍金は磨かれたように光っていました。

「建築はね、まず手に触れるところから大事につくってゆくんだよ。ドアのノブ、家具の引き手、手摺や蛇口やスイッチ。それらに触れて、しっかり造ってあったら、建物全体がとても質の高いものに感じられるんだ。人の手に、人の目に近いものから、順にちゃんと気を配らなければいいものはできないよ。」

師匠の口癖でした。

2008年06月20日

ふつう

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大好きな天主堂の南側立面です。

この建物の正面は北側です。北面は全く開口のない石積みの壁です。

それに対して、南は祭壇の後ろに2連の窓が開けられています。

画面左側が西面で、斜面の下に東シナ海の水平線が広がっています。

段々畑の途中に自然な形でこの小さな宗教建築が建っているのです。


今、私たちワークスが注目しているのは”ふつう”というキーワード。

私たちがつくりたいものは”ふつう”のもの。

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”ふつう”の建築を”ふつう”の材料と”ふつう”の工法でつくりたい。

自分達や子供達のために、いつまでも残したい”ふつう”の住まい。

”ふつう”の住まいを、楽しみながらつくる”ふつう”の人たちのチームワーク。


生活デザインからスタートして

共につくるワークショップを学び

時を越える”ふつう”をつくること。

もう少しみんなと議論してみようと思います。

2008年06月05日

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光によって、全てが在るということ。

光はそれを受け止めるものによって、変容するということ。

光は観察する人の動きの中で、揺らいでゆくということ。

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色ガラスを通過した光が量塊の間の闇を切り裂いてくる。

海、太陽、オンナ、ヒトデ、月、愛、・・・・

建築家の想いに光が染色されている。

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荒々しいテクスチャーの曲面を、高い窓からの白い光がシャラシャラと注ぎ落ちてくる。

彼の石積みの文化はそこに穿たれた穴から溢れる光の文化。

我が木組みの文化は、屋根の下を抜けてゆく風の文化。

2008年05月26日

星野村 池の山荘と茶の文化館

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八女の交差点に建つ歯科医院の完成間近の姿を確認し、にしで先生に教えられた近くの旨いちゃんぽんを食べて、そのまま星野村に登りました。

きらら温泉の横の「池の山荘」が全面改装建て直してこの3月から開業していました。


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素敵な公共建築がまたひとつ増えました。

「池の山荘」の設計コンペに、設計集団櫂も参加したのですが、残念ながら別の方の設計が採用されました。
先行して建てられた「きらら温泉」ともうまく調和して、好感の持てる2階建ての山荘旅館が完成していました。
ちなみに、櫂が提案したプランは平屋建ての旅館でした。

フロントの客あしらいもよい雰囲気です。
もう6月は週末の予約がいっぱいだそうです。


「星野村はなんか、こう、村の品格みたいなモンがあるよね。」

「うん、それと小国と比べると谷が深くなくて明るいね。」

よく一緒に星野村を訪ねた、櫂の古賀士平と利助の沢渡さんが言ってたのを思い出します。

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老人福祉施設だった頃の「池の山荘」は1泊2食付で6000円でしたが、新しくなって9500円になってました。

きらら温泉にゆっくり浸かって、緑の英気をおもいっきり吸い込んで、


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いつものように、「茶の文化館」で新茶を買って帰りました。

上は茶の文化館玄関ホールの水盤に映る星野の空。

2008年05月12日

杵築

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大分県国東半島のつけ根に杵築の城下町があります。
「北台」と「南台」の武家屋敷群に挟まれた谷あいに町人の町「谷町」がつづいている特殊な街の構造です。
村長は28~29歳のころ、勤務していた建築事務所の仕事で、杵築のまちなみ保存を検討するために調査に訪れたことがあります。
当時は高台の武家屋敷から見下ろす谷町には、酒屋や味噌屋の瓦葺の古くて大きな建物が軒を連ねていました。
日本中の他の町と同様に、新しいバイパス道路沿いに商業施設ができて、古い商店街は寂れてゆきつつありました。客足が減ってゆく商店街の要請で、街の保存と再生のコンサルタントが求められたのです。結局、その後私達が計画策定に関わることはありませんでしたが、高台の武家屋敷からの、谷をびっしりと埋める商家の屋根が夕陽に照らされている光景をよく憶えています。

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久しぶりに訪れた杵築のまちは、谷あいの商家の多くを建替えて、道幅も拡張され、観光地として開発されている最中のように見えました。

寂しげなまちの様子が気になりましたが、他に類のない街の構造を活かしたまちづくりが成功することを祈ります。
これから20年後には、一度郊外に転出した施設が旧市街に戻ってきて、
後期高齢者になった私達が、電動車椅子で買い物ができるようなまちがきっとできることを・・・

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杵築のまちに、音楽の趣味をともにされる若いご夫婦のための住宅、「つーとんの家」の設計が始まります。

2008年04月21日

いろねのいえ

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福岡市西区姪浜の古い住宅地に、周りの2階建て住宅の中に象嵌されるように、平屋の「いろねの家」ができました。

防音ドアの玄関扉をあけると、そこは土間の「いろねホール」です。
奥様のピアノ教室が開かれます。

奥様お手製のネーム入りスリッパがカワイクならんでいました。

京都の「いれもん屋」さんにつくってもらった、ドレミファ階段も間に合いました。

ハンモックデッキが完成して、まんなかにピンクのはなみずきが植えられれば完成です。

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アプローチには、かず君が撮った写真を飾れるボックスと、木製の花壇が設えてあって、床には特注のガラス玉がオタマジャクシ(音符)のかたちに象嵌されています。

2008年02月23日

アノニマス

通勤路になぜかほっとする住宅がある。

平屋の小さな一戸建て。
お歳の方が住んでおられるようだ。

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白い壁に鉄板屋根。木製建具に板の塀。

枯れかけた大きな樹と西陽除けの簾。

新建材も、ハウスメーカーも、住宅を設計する建築家もなかった頃の住宅。

地域とか、時代とか、そんなものがデザインしたんだろうアノニマスな住宅。







小さな白い住宅のそばにある古い白い集合住宅。

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道路には面していないこの側面のなんと無愛想なこと。

隣地側はいずれ同様の高層建築で隠れると考えて無視したのか。

西日を嫌って塞いでしまったのか。

ここにも恣意的なデザインが排除された結果の心地よさがある。

ちょっと見惚れる即物的なスカイライン。

建築と植栽

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まちの姿

いくつかの建物が集まったときの、町の景観について考えています。

世の中に大きな規範というものが見あたらない時、人々に共有する価値観のようなものが少ない時、技術が表現を規定してしまうというようなことがない時、私達は建物にどのような意匠を施すのだろう。
そもそも意匠を施すという言い方に意匠を機能や技術から切り離せるという前提がある。


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かつて、安藤忠雄さんや伊東豊雄さんはコンクリートやアルミに表現を還元してみせた。
デビューした時の妹島和代さんは軽やかな感性で謳い踊るような軌跡を形にしてみせた。
藤森照信さんは高笑いする悪党のように、見たことのないような形をいきなりポンと出す。

才能ある建築家たちは、意匠の意味を問い直すところから新しい地平を切り開いてきた。

しかし、建築家の手になる建物がまちなみを創りだすことは極めて少なく、「まちづくり」に取り組む建築家達も、伝統的デザインの他にまちなみの意匠を語ることができないでいる。
むしろ、建物が商品として「デザイナーズ○○」と呼ばれるようになり、建築の意匠は加速して消費されるようになった。

ときおり、彼の国や地方の意匠を纏いながら、誠実にデザインされた建物に出会うことがある。
それらは大抵、姿かたちや部品が何処かのスタイルを踏襲しているではなく、材料や工法や地域性に対する理解の下に建築がなされている。

石と土と木と鉄とガラスとそして人との関わりが丹念に扱われている。

私達が彼の国やその地方独特のまちなみに心惹かれるのは、きっとそのような生活に対する丁寧さと建築が経た時間の厚みだと思う。

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余剰戸数450万の住宅と過剰過大な公共建築とスクラップアンドビルドの商業建築。
量としての建築が充足しても、わたしたちのまちは何故か豊かにはならない。
皮相なスタイルやテイストに頼ることのない、誠実なものづくりが必要だと感じる。

個々が主張し突出するのではなく、かつ固定的伝統意匠に陥らないデザイン。

地球規模の課題を直視しながら、豊かな生活を求める普通の視点。

そのようなものがあるような気がする。

きっと私たちのまちの姿を誇りに思える時が来るような気がする。
その時のために建物をつくり続けたい。

2008年02月20日

コトコトのまなざし

「コトコトの家」はふつうの形をしています。

道路に面する東面は、総2階の白い切妻。そとん壁の櫛目引き仕上。

屋根は4寸9分の勾配。ガルバリウム鋼板平葺き。

切り妻の白壁の前に、一本の植栽。まだ細い株立ちのナツハゼ

北側お隣のアプローチにある槇の木が応援しています。

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1階の土間には木製の家具。

ガラスのはまった棚と、丸いテーブルと、3脚の椅子。

建て主さまのご要望は、この3つのお気に入りの家具を置いて、映える家。

それだけでした。


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横に櫛目がつけられた白壁にはふたつの小さな開口。300角のすべりだし窓。

1階土間と2階寝室から坂道の様子が伺えます。

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南面の中央には1階から2階まで通しの木製格子。

格子の内側には眺めのよい洗面室と浴室が配置されて。

格子の前にはシマトネリコが一株植えられました。

この樹は水分をたくさん要求する樹だそうです。

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キッチンを中心にしたかわいい家ができました。

奥様のまな板をきざむ音が聞こえてきます。


設計監理は坂口舞と馬場小葉紅のコンビです。

2008年02月10日

イルソルレヴァンテ

西区で独自に”子どもの村”を実現しているクライアントから、
「警固四つ角にあるイタリアンレストランは外観が良いですよね。」

世界中の街や建物を見ている施主の言葉だ。

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"IL SOL LEVANTE"は毎朝の通勤路にある。
南仏か南伊スタイルのファッショナブルなお店ができたなと思っていた。

乾式のボードでフォルムをつくって、白くペンキで仕上げている軽さが気なっていたが、
毎朝9時過ぎにここを通るたびに、スタッフが店の前庭のセッティングをしている。

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床を掃除し、テーブルを並べ、窓の桟を拭いて、ラックにワインの壜を並べている。

道路境界の花壇には、店のネームが入った煉瓦がはめ込まれている。

上段外壁の白い面に並ぶカラフルなロゴマークもなかなか唸らせてくれる。

サッシが木製で特徴的な窓割りになっている。

白い外壁面と赤い洋瓦のプロポーションが絶妙なのに気づく。


そして昨日、タバコの自販機が、建物に埋め込まれているのを発見して、

なんか、イルソルレヴァンテがいい奴なような気がした。

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インテリアには吹き抜けがあって、オレンジ色の石釜があるらしい。

ピザを食べに入ってみようと思う。

2008年01月08日

やわらかな建築

通勤ルートにある、有名なケーキ屋さん。
暮のケーキシーズンには大賑わい。

ここはもともと福岡の著名建築家の設計による建物で、有名ブランド店が入っていた。

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その駐車場部分に手が加えられて、ガラス張りのショップと緑の植込みと煉瓦のゲートを設えている。

通り沿いに植木鉢とパラソルとテーブルとメニューが並んでいる。
ガラス越しのショップから通りまで多様なシークエンスがある。
建築の境界が曖昧でやわらかい。
そこにメッセージの送り手と受け手の情景がある。

建物とオペレーションが同期して柔らかな建築が生まれる。

2007年12月26日

サーラカリーナ

福岡市中央区御所ヶ谷にあるイタリアンレストラン「サーラカリーナ」
このお店は建築家白川直行氏の手になる素晴らしいレストランです。
福岡市都市景観賞を受賞しています。

荒木歯科医院の竣工披露パーティーでお呼ばれしたことがあります。
料理もワインも文句なし。客席からの景色もしっかり計算されてあります。

高さ3mの石垣に洋風の小さな蔵が挟み込まれたような正面外観です。

その脇の石垣の蔦の中に白いシンプルなサインがそっとあります。

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このサインが「サーラカリーナ」のコンセプトを象徴しています。

都市の中のさりげなく上質な空間。

みどりのなかに象嵌された建築。

そしてヒューマンなあたたかさ。

2007年11月12日

久留米-「かえるの家」のビオトープ

土曜日はハウステンボスそばの川棚「海辺の家」で海を眺めながらビールとワインを飲み、
翌日曜日は朝から長与まで走って、「ゆういろの家」で海を眺めながら御弁当を食べ、
おやつの時間には福岡県小郡市に戻って「きつつ木ハウス」に立ち寄って、
夕刻には久留米市の「かえるの家」に辿りついて、おいしいお茶をいただきました。

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引っ越して1ヶ月。自転車置き場に屋根がついたのを見せてもらいに来たのです。
車を使わない「かえるの家」の建て主ご夫妻は、素敵な自転車が移動手段です。

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「かえるの家」のアプローチのコンクリートにはところどころ丸い穴が開いていて、中には苔が育っていました。

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小さな南の庭には、「ビオトープ」と名づけた雨水を引いた小さな池があって、水底の石には藻がついていました。

「あれっ!貝がいる!」

「二枚貝と巻貝がいるんですよ。それとエビとドジョウと。」

「えっ、えっ!、何処に?何処に?」

「ほら、ほら、水面にメダカの子どもがいるでしょう。メダカの親は下のほうにいるんですよ。」

「ウワーッ、ドジョウがいる!」

小さな小さなビオトープには、4センチのドジョウと、3センチのエビと、2センチの親メダカと、8ミリの子どもメダカたちが生息していました。一番大きな生き物は6センチの2枚貝(ドブガイかカラスガイ)でした。

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苔やメダカと楽しい時間を過ごしておられて、引越しのかたづけはまだかかりそうでした。

かえるの家のビオトープ。
今後がとっても楽しみです。

小郡-きつつ木ハウスの撮影会

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東京の雑誌社が「きつつ木ハウス」の取材撮影に九州福岡小郡に来てくれました。
撮影に朝からつきあっている小葉紅さんを迎えに、久しぶりに「きつつ木ハウス」を訪ねたら、
いきなり舞さんがモデルにされてしまいました。

「奥様の友人がふらっと訪ねてきて、土間キッチンで茶飲み話に話が咲いているシーン。」

長与-「ゆういろの家」棟上

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長崎県西彼杵郡長与町はみかんの名産地です。
みかんは海のそばの陽あたりのよい傾斜面でよく実るようです。
海からの反射光がさらにみかんを美味しくするのだそうです。

みかん山を削って、造成した丘陵地に「ゆういろの家」は立ち上がりました。

建て主さまは広島市在住、建設予定地が長崎の長与なのですが、奥様のご実家が福岡で、長崎に縁があって福岡拠点のワークスに設計を依頼していただきました。

長与は村長が子供の頃、バスや自転車で市内からはるばる釣り遊びに来たところです。
そんな話をしていたら、建て主旦那さまも、なんと市内のご近所さんで(タイムラグはありますが・・)やはり長与に釣りに来ていたとか。

やっぱり縁というものはあるものなんですね。

棟上のお昼には、建て主さまご夫妻のコールマンツーバーナーで、お吸い物とお茶のおもてなしをいただきました。

11月、暖かい快晴の日曜日の棟上でした。

2007年10月27日

宇宙船と・・・

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今宿の先の「中間」(チュウカン?)というバス停に、有名な医院建築があります。

建築家葉祥栄さんの作品で30年ほど前の建物ですが、今まさに飛び出そうとする宇宙船のように芝生の丘に、銀色に輝きながら停泊していました。
バス停のベンチには布の座布団が置いてあって、あの船に搭乗したのは、おばあさんなのかもしれない。

その奥に白いきれいな歯科医院が建っていました。

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こちらも宇宙船と同じように、芝生の上の細いスロープを登って、入り口にアプローチします。

宇宙船の出発を見送る送迎デッキのようにも見えます。
どなたの設計なのでしょう?

2007年10月17日

島原の整形外科医院の棟上

南島原市の島原鉄道有家駅のすぐそばに、木造平屋建ての小峰整形外科医院の建築工事が進んでいます。かつて大噴火した普賢岳がすぐ近くで見下ろしています。
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瀬野和広さんデザイン、末松信吾さん構造設計の木架構は清々しく軽やかでした。
使用木材は全て120角のカナダ栂。
120×120×4000の木材をフルに使いきって、6mスパンの診療リハビリ空間を実現しています。
この木架構を最大限に生かしたインテリアデザインがなされています。

120角の栂に、軽やかなスチールの補強です。
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久しぶりに棟上の飾りを見ました。
近所から子どもたちがスーパーの袋を持って駆けつけてきます。
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大工さんが建物の4隅に置く飾りもちを持って、いとも軽やかに軒の上を歩いていきます。
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施主の小峰先生と瀬野さんと棟梁さんたちが力いっぱいもちをまきます。
村長ももちを拾って、ポケットにしこたま詰め込みました。
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沖縄名護から駆けつけた構造の末松さんは棟が上がって、構造i家の仕事は一段落。
これからは意匠、設備、照明などの課題を解決しながら、現場監理が進んでいきます。
末松さんの横で柏手を打っているのはプロトハウスの牟田さん。
この建物のサイン計画を担当します。
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秋らしい青空がどこまでも広がる、心地よい一日でした。

2007年10月11日

福岡県宇美町の新しい図書館

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友人の森浩さんの案内で、完成したばかりの宇美町の図書館を見学しました。

川と道路に面して、2階のキャンティレバー集会室の下につくりだされた「プラットフォーム」が、既存の施設と新図書館を繋いでいます。

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集会室ユニットを2階にホバリング(森浩談)させて、1階を大きな広場のようにしたかった。
大きな広場で町の人や子どもたちが好きな本に出会うイメージだそうです。
黒い全面板張りの床と白い布張りのオシリのような天井の間に、シンプルな白木の書架が並んでいます。

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書架にも図書閲覧スペースにも学習スペースにも壁がほとんどなくて、天井の高い大きな空間には柱がなくて、森さんの設計意図どおり、あたかも、屋外で本を読んでいる感覚です。

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一緒に見学した塚本さんは、公共建築がガラス張りになっていること。
利用者やスタッフの活動がみんな見えるようになっていること。
宇美図書館の透明性と開放性を高く評価していました。

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ワークスの女性スタッフの共通した感想は「カワイイ!?」でした。
オジサンにはなかなか理解できない、意味の深い感想です。

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この図書館のように建築的にも質が高く、利用者の視点でつくられた公共建築が増えることはうれしいものです。
森さんのネライは建築単体のデザインでなく、この図書館から多様な活動が町中に拡張していくことなのだと感じました。
ぜひ、粕屋郡に行かれた折には、立ち寄ってみてください。

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2007年10月04日

二人のCollaboration

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福岡市薬院にあるM社のキッチンショールームがリニューアルオープンしました。
M社企画及びフロントスタッフ、WORKS坂口舞、CASE山本容子のCollaborationです。
一つ一つのキッチンがきちんと生活感のあるシーンを表現して、フロントスタッフが自信を持って、お客様に自社製品を説明できるショールームが完成したようです。
覗いてみてください。

2007年09月14日

かえる

「かえるの家」の南のアプローチを兼ねたかわいい庭に小さな池があります。
小さな池には屋根の水を全部集めて、井戸の水も引いてあります。
池の水面に反射する陽が木造の桁のすきまから、天井板に映って揺らいでいます。
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ストリップの階段が中庭に面して明るく配置されています。
階段の上がりつく一番奥暗いところににトップライトが仕掛けてあって、
強い光が漆喰の壁を輝かせています。
内壁は藁すさの入った漆喰塗です。
自然光も人工照明も壁を横からなめるように射して、藁漆喰の趣を強調しています。
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居間にある枝の生えた柱は磨き丸太をサンダーで削って、木目を出したもの。
「大黒柱」ならぬ、「女将さん柱」のイメージかな。
化粧を落として、わが身を削っても、家庭を支え、やさしく見守っている・・・
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かえる好きの建て主さんがお気に入りの縫いぐるみを持ってきてくれました。
かえるが縁台から池を見下ろしています。
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なかなか愛嬌のあるかえるで、
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「かえるの家」を真心込めて造ってくれた筑波工務店の秦社長にそっくりに見えてきました。
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2007年08月17日

父の家

子供たち3人がみんな結婚し、父とは母は16~17年前に長崎市を引っ越して島に帰っていきました。

祖父君神社の後ろの田んぼを埋めて、平屋の家を建てました。

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父は新しく買ったボートで毎日釣りに出かけ、母は毎日庭で花木を作っていました。
孫のためにとボートにはトイレもついていましたが、孫たちは一度で船酔いして、二度とボートには乗りませんでした。いつも帰郷した弟が父の釣りに付き合っていました。

母が亡くなってから、庭の花も寂しくなりましたが、今では父が花の世話をしています。
「お母ちゃんのようにはうまくつくれんなあ・・・」とつぶやいています。

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父の家の設計条件は平屋であること、40坪未満であることの二つでした。
アイ○○ホームで父が設計を進めていたものを村長が取り上げて、設計し直しました。
だって、父の設計では母の家事室が家の真ん中の陽の当たらない場所だったものですから・・・

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玄関ポーチには今年買った耕耘機が置いてありました。
また何か企んでいるのでしょう。

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雑草もみんなひっくるめて、ジャーッと草刈機で庭の芝を刈るのも父の運動です。

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庭の東の畑には例年サツマイモを植えていますが、今年は半分だけでした。
父の作るサツマイモは時々ワークスでもおすそ分けしますが、とても人気です。

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平面は東に寝室があって、真ん中に8畳の和室と、西側にリビングがあります。
寝室の北側に父の書斎があって、ダイニングに畳敷きの母の家事室があります。

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西側のリビングには寒がりの父のために暖炉が備えてあります。
時々村長も薪割りをしますが、なかなか様になりません。

ぶどう棚の下が車庫になっていて、何故だか今年は新車のプリウスがおいてありました。
83歳の高齢者によく新車を売りつけたものだと親戚が笑っていますが、父はTOYOTA車の最新装備を操作して嬉しそうです。 父は道具フェチなのです。

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庭の南側は祖父君神社の大きな木立が繁っています。
何時だったか神社の木が越境していると怒って、父は大きな楠の枝をクレーン車を入れて切り落としていました。

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母が亡くなって1年ほど元気がなかった父も随分元気になりました。

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青砂ヶ浦天主堂

島の北部青砂ヶ浦の入り江に島で最も大きな天主堂があります。
故郷の島だけで30近い教会建築が残っています。
陸上交通の発達していない時代に、信者さんが暮らすひとつの入り江ごとにひとつづつ教会が造られました。
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青砂ヶ浦天主堂は西の港青方の大曽天主堂、東の頭ヶ島の頭ヶ島天主堂と並んで3つの素晴らしい建築作品です。
1910年に建立されました。
頭ヶ島天主堂は石造ですが、青砂ヶ浦と大曽は煉瓦の外壁です。
建築的に正確に言うと木軸煉瓦積みの構造になっています。建物の骨格は木造なのです。
大曽はラウンドアーチ(ロマネスク様式の特徴)ですが、青砂ヶ浦はポインテッドアーチ(ゴシック様式の特徴)です。
ともに鉄川与助の設計施工です。

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青砂ヶ浦でもマリア様は人々の暮らす入り江をやさしく見下ろしています。

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私がこの天主堂を実測した30年前は、ステンドグラスの枠が木製だったような、ガラスももっと素朴なものだったような記憶があります。
鉛の枠できれいな色ガラスがはめられたステンドグラスは単純で素朴な意匠は変わっていません。

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日本の西の果ての小さな島に、こんな教会が存在することが不思議な気がします。
しかも100年も前から・・・
そしていくつも、いくつも・・・

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久しぶりに青砂ヶ浦天主堂を訪ねたのは雲の多い小雨がちらつく日でしたが、強い夏の陽射しがステンドグラスから差し込んで、堂内を輝かせていた30年前の感動が蘇ってきました。

30年前実測が済んで、卒論の相棒長沼くんと、窓から見える入り江の海にフリチンで飛び込みました。

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2007年07月24日

楓の家

福岡市城南区に竣工した「楓の家」は両親の住む敷地に子ども家族がともに暮らす住宅です。
ホントにスープの冷めない距離。島で親が暮らしている村長としては羨ましいです。
両親の庭の楓を残しながら、空間を立体的かつ細やかに構成しています。

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中央ウグイス色が、「楓の家」担当の馬場小葉紅です。
たくさんの方に見学に来ていただきました。

「楓の家」の二人の子どものためのスツール「おわんチェア」。
馬場小葉紅デザイン、飛鳥工房製作。
製作担当者吉山ジュンさんのオシリにもピッタリでした。
ジュンさんは元ワークスメンバーです。

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村長の大好きな二人も自転車で来てくれました。
相変わらずの人もやっかむ「おしどり夫婦」。
青い月の中川さん。

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村長にも小さなお友達ができました。
両親と赤ちゃんの弟が「楓の家」を見学している間ずっと、外の受付でおりこうにお人形さんを抱っこしていた小さなレディー。

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別れ際にハイタッチしてくれたね。
ありがとう。

2007年07月15日

WORKS : 仕事

どんな仕事だってそうだと思いますが、建築設計は出会いと発見と、そして喜びの繰り返しです。

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ひとつのかけがえのない家族のための住宅
仲のよい複数の家族のための住宅
一人で暮らす母のための住宅

信徒の寄付によって建てられる質素で凛とした集会所

障害者の子どもを持つ家族がともに暮らす森のほとりの小さな村

保護されない子どもを守る新しいシステムを立ち上げる構想

人工の新天地に森みたいな住宅地をつくる企画

信じる医療を実現するために夢を描く医師のための診療所

スタッフが笑顔で自信をもって商品説明したくなるショールーム

週末に心と体を思いっきりリラックスさせる海辺の別荘

心からのおもてなしをさりげなく支えるお店のインテリア

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ひとつとして私たちに生きる喜びを教えてくれない仕事はありません。

みんなと一緒に、楽しみながら仕事ができる、この現在に感謝しています。

2007年07月06日

下関

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下関市役所のそばに見つけた建物です。
凝った屋根の下に、ひとつだけ特徴的にパンチングされたな側面の大きな壁が目を惹きました。

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正面は劇的な立面です。
佐世保の親和銀行本店を設計した建築家白井成一の流れを引くデザインでしょう。
自信に溢れた強い建築デザインの建物に出会えるのはうれしいものです。
ファサード3層分を飾る縦の格子は、30mmほどの丸く削った木を真鍮の金物で継いでいました。
圧倒的でボリュームのある外観デザインを、緻密な詳細デザインが支えています。

全体と細部、集中と余白、遮蔽と透過、素材のつきつけと分節・・・

建築がさまざまな寸法の決定によって成り立っていること。

建築家は建築各部の寸法を決定する職人であることを思います。

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下関に行ったのは、次女のバレー発表会を観る妻に強制連行されたもの。
お駄賃にジャケットを買ってもらいました。

2007年06月25日

篠栗山荘

「茂木謙悟さんを囲んで」建築を語る会は㈱渡辺藤吉本店の研修所篠栗山荘を会場にさせていただきました。

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この山荘は昭和2年の建設で、作庭も普請も見事な和風建築でした。
近年補修工事がされたらしい楠一枚板の上り框の玄関には栴檀の強い香りがしています。

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渓流を取り込んで、造られた庭は梅雨の湿潤な空気のなかに、みどりが溢れています。
夜更けには蛍がチラチラと舞い、渓流の水音が響いて、体験したことのないほど幽玄で、しかも心落ち着く6月の夜でした。

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庭に面した広縁は全面が木製ガラス戸です。
今の建築基準法では不可能なつくりです。
戦後作られた建築基準法が低いレベルの木造技術を前提にしていることを、この秀逸な建物が80年もって凛としていることで証明しています。

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「しっかり造られた建物は80年経ってもピシッとしてるんですよ。」
茂木さんが建物の随所にある見所をわかりやすく解説してくれました。
3間飛ばした広縁の丸桁はこんなにも細くストレートで、隅木の納まりもすっきりしています。
「この建物の一番の圧巻は、広縁の丸桁と隅の軒裏ですよ。桁に荷重がかからんようにハネギが使われていて、天秤のようになっとるんです。部材の選定もとんでもないもんです。」

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畳、面付柱、欄間の造作、襖絵、床のリュウビン、障子、楠のムク板の家具などなど、茂木さんの和風建築の実地解説は、とどまることがありません。
茂木さんの最近の寺社関係のお仕事もスライドで紹介されて、たくさんの刺激を受けました。
参加者の一番の感想は、茂木さんにいろんな建築を解説しながら案内してほしいというもの。
贅沢な望みでしょうが、でももしそれが叶えば、どんなに素晴らしいことかと思った一日でした。
塚本さん企画してください。

今回はごくろうさまでした。

そして、渡辺藤吉本店の堀越さんありがとうございました。

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篠栗山荘の庭の紫陽花が、日が落ちかけた梅雨の曇り空に輝いていました。
紫陽花は日光が当たっているときよりも、湿気につつまれた薄暮のほうがずっと色あざやかになるのですね。
また、ひとつ、勉強しました。

2007年05月29日

住まうことは建てることである。

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 自然に溶け込むかのように建っている民家を見れば、誰しもやすらぎをおぼえるだろう。それは、人間と住まいの関係が、それをつつむ全体性の相のなかに位置づけられていることを感じるからである。けれども、いくら古い民家をまもりつづけていても、もはや私たちはそうした全体性に到達できないことを知っている。民家のように物理的に永続する住まいのなかでは、生きられた経験は、そこで世代を超えて共有されていかねばならない。ところが、いまや周囲の自然をはるかに超えて、人間と住まいをつつむ世界は拡散している。だから、現代の生きられた住まいは、すべての個人が、めいめいの住まいを建てる不断の経験をとうして、成就してゆくより仕方のないものなのである。
 封建制度の産物でもある伝統的な民家の集落景観は、生きられた個人の経験が、社会の経験とも一体であることを約束していた。では、私たち現代人は、いかにして社会との関係を内在させた住まいを持つことができるのだろう。現代住宅に立ちはだかる永遠の命題である。
-佐藤浩司「住まいに生きる」-

2007年05月17日

北欧モダンデザイン展

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長崎県立美術館で今日まで開かれている北欧モダンデザイン展にきのう行ってきました。
みんなが「いい!いい!」っていうし、隈さん+日本設計の美術館もまだ見てなかったので・・・

いいですねー!やっぱり北欧のデザインはいつ見ても惹かれます。

実用的だけどかわいい。

モダンだけどあたたかい。

家具や器や道具を見ていると、日本のデザインとの共通性を感じます。
フランスや中国の過剰な感じにはなじめないけど、素材感があって、余白がおもしろくて、シンプルなデザインはやっぱり僕らのDNAに近いのかな・・・

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写真を撮ろうとしたら係りのお姉さんに怒られて、家具に触るたびに注意されました。
それでこれだけ・・・

帰りは喜楽園が閉まっていたので、修学旅行の女子高生大集団に完全包囲されながら、新地の江山楼でチャンポンと皿うどんを食べました。
やっぱり僕は『ヨコハマ』のほうが好き!


2007年05月04日

ふたばの家のこどもたち

4月28日の「ふたばの家」オープンハウスも、またまた、あたたかな日和のなか、多くの方にご来場いただきました。
ありがとうございました。
「ふたばの家」は建て主様の素敵な感性とワークスの設計スタイルとがシンクロした、心地よい作品になったと感謝しています。

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玄関ポーチや駐車場に埋め込んだガラス玉はもうお馴染みになりましたね。
訪ねてくれた子供たちが、「アーっ!ミッキーやあー!」ってよろこんでました。

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優しいお兄ちゃんと、マイペースの弟君の「ふたばの家」。
どんどん磨き上げてくださいね。

2007年04月17日

聖堂再生プロジェクト

先日、2007年4月15日の起工式から2011年4月7日の献堂式まで聖堂再生の長い道のりが始まります。
基礎工事、骨組工事、仕上工事の各段階で多くの市民参加が企画されています。
2007年5月5日は小学生の参加、同じく夏休みは中、高、大学生の参加募集が行われ、修復技術を学ぶことができます。
今後、これらのイベントに可能な限り参加しながら報告していきます。
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NPO法人文化財保存工学研究室理事長の土田光義先生は私の恩師です。
日本建築様式史を教わりました。
寺社仏閣、民家、外国人居留地の洋館、教会建築など日本の建築歴史の多様な領域を研究してこられ、九州のいたるところに先生の研究の成果が残っています。
ついこないだ行った長崎ランタンフェスティバルの館内町の御堂にも土田先生の研究と評価が案内されていました。
土田先生が私費を投じてライフワークのひとつとしているのが、このザビエル聖堂再生です。
これはその正面立面図ですが、惚れ惚れするプロポーションです。
歴史的建築は古いからいいのではなく、古くても残したくなる魅力があるからいいのでしょう。
骨組みの木構造にも創意工夫があり、塔の意匠にもアイデアがあるそうです。
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聖堂は敷地の北側の森に寄せて、東を正面、西を祭壇とする東西軸で配置されます。
都市計画法と建築基準法により建物の高さ制限がある地域ですが、建築審査会の許可を受けて尖塔のある聖堂の建設が可能になりました。
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敷地の南西の隅に、鹿児島から運んでこられた聖堂すべての部材が保存されています。屋根瓦や石材はこのように露天で保管されていますが、木材などはすべて小屋の中に大切に積み上げられています。
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聖堂再生プロジェクトの理念が素晴らしいので、紹介します。

1.チームは独立しているが、有機的に繋がる。

2.ともに汗を流し、喜びを共にする。

3.使い捨てはせず、ものを大切にする。

4.3世代(祖父母・両親・子供)による協力体制を築く。

ザビエル旧聖堂起工式

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以前WORKSトップページで紹介したザビエル旧聖堂の起工式が4月15日(日)に行われました。
新聞でも取り上げられていたのでご存知の方も多いとおもいます。
昨年12月の祝別式は敷地にカトリックの神様の祝福を願うものでしたが、今回は建築の起工式=地鎮祭でした。
これは式のための祭壇です。中央に小さな十字架、その前にパンの入った皿と葡萄酒、右側にお香を入れる真鍮の器、左側に聖水を入れるガラスの器。白い布の上に意味のある道具が並べられて祭壇がつくられました。再生建設地「福岡黙想の家」の森を背景にしています。
混沌とした空間(森)の中に秩序ある世界(聖堂)を産み出してゆく作業は神話の基本的なモチーフです。この祭壇が新しい聖堂の再生を象徴しているようです。

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聖書の朗読があり、賛美歌が歌われ、杭打ちの儀が行われました。
神父様が立てられた杭に聖水とお香で神の祝福と庇護を祈ります。

このような建築儀礼は、家屋の建設が単なる物理的作業ではなく、そこに社会的要請がこめられていることを思います。社会的に建物が認知されるためには共同体の成員がそれに立ち会って、その経験を共有しなければならないのでしょう。

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起工式の後にはお茶会が催され、参列者にお茶がふるまわれました。
さらに、地元の人たちによる「赤間太鼓」が勇壮に響き渡り、中国、朝鮮との交易の拠点であったこの歴史的な宗像の地にカトリックの教会が再生されることを歓迎していました。
和洋折衷の起工式を見て、新たに訪れる人々とそれを迎える人々の心のやりとりがあたたかく感じられました。
「鹿児島に建てられたザビエル教会が何故宗像に移築されるのか?」との問いがなされていましたが、「偶然」というのが正解なのでしょう。その偶然が縁であり、その縁を喜びとして迎える私たち日本人の感性が素敵なのだと思います。
かつてザビエルが鹿児島の地に上陸して、地元に迎えられ京都まで上ったように。

2007年03月29日

都市の集合住宅

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 すっくと立つタワークレーンは建設現場の働き者。
 この地方銀行本社ビルの現場では2基のクレーンが爽やかな青空の下、のびやかに働いています。
白い仮囲いの中では地下工事がどんどん進んでいます。中の様子がわかるように、仮囲いはところどころパンチングされていてそこから最近できたかろやかな高層マンションがのぞいていました。
 このマンションも斬新なデザイン。薄い白いスラブがリズミカルに宙に浮かびながら積みあがっています。サッシュも手摺も透明ガラスでモデルルームの部屋に寝転がっても、眼下に福岡の町を見下ろすことができて、気持ち良いような不安なような特別の浮遊感でした。日々わくわく(ゾクゾク)しながら生活するのもいいのかな?
 このマンションは免震構造を備えていて、先の福岡地震の時は駆体が出来上がっており、免震性能を遺憾なく発揮したそうです。ちなみにこの免震は建物の足もとにごっついゴムの長靴をはいてるようなやつでした。地面が揺れてもゴム長が揺れを吸収して、建物はほとんど揺れないんだとか。

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 こちらはさっきの工事現場のすぐそばにある古い公団住宅です。10階建てです。
 バルコニーがありません。上の高層マンションの全面スケスケバルコニーとは対照的です。一見するとオフィスビルのような外観(少しにぎやかだけど・・・)
 ここの上層階からの眺めは抜群です。福岡城址、平和台競技場、お堀、大濠公園をずるっと見渡して、はるかに油山まで見晴るかすことができます。特にあのまあるくカーブしたコーナーの部屋からの眺めは最高です。
 洗濯物も布団も直接干すことができませんが、この時代住宅公団がエネルギーを注いで開発した共同住宅は画一的ではありませんでした。屋上に洗濯物干場があるようです。
 地震でもほとんど被害が無かったようです。
 今は無き原宿の同潤会アパートも近代日本で最初期の鉄筋コンクリート共同住宅で、居住者への配慮が行き届いたきめ細かな計画などの先見性が評価されていました。いつの頃からか集合住宅がチープなステレオタイプばかりになり、私たち自身の都市生活も箱に規制されて窮屈なものになってしまいました。マンションデベロッパーによる思想のないマスプロ販売手法の悪弊です。
 デザイナーズマンションと呼ばれる新スタイルも流行しているようですが、私たちは都市に住まうということをもう一度見つめなおし、都市の資産としての共同住宅を考えていきたいと思っています。都市の集合住宅を考える時もワークスのキーワードは「生活」です。


2007年03月22日

「木つつ木はうす」のこどもたち

春の訪れとともに完成した「木つつ木はうす」は、こどもの笑顔があふれる家になりました。
極力金物を使わない木組みの技術は、居間からロフトまでつつぬけの空間設計とあいまって、暖かくて柔らかな生活の器をつくりだしています。

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キッチンから連続する大きな食卓は「木つつ木はうす」の中心です。中心が吹き抜けていて、2階にスノコのキャットウォークとこどもたちのワークデスクがならんで吹抜を取り囲んでいます。
そしてコノ吹抜の真上に3つの独立したロフトが組み上げられた木組みに支えられて浮かんでいます。

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ロフトはちょうどダブルベッドの大きさで天井は低く、斜めになっていて、南の窓際が少し高くなってます。小さな子供が座って室内側を見下ろすとこんな感じ。こんなちっちゃい子は上がれないけどね。
でもこんな森の梢で暮らすように育った子供は、きっと木の実取り(おサル)のようにたくましく、柔軟に育つのかもしれない。それが木組みの匠瀬野和弘さんの一番のネライのような気がする。

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ロフトからは南の通りを見下ろすことができて、近所の仲間たちに声をかけて・・・
なんかワクワクしそう。
ずいぶん以前に、ユトレヒト郊外の住宅地を訪れた時にタウンハウスの2階ロフトから男の子に手を振られたことを思い出しました。通りに直接リビングが面していて、ダイニングの向こうの中庭まで通りから見通すことができました。逆に住まい手からも通りの様子がよくわかって、まちがとても安心な感じでした。住まいの窓には花があふれていて、どの住宅もまちと話をしているような雰囲気です。
私の郷里の五島列島の漁師町も、座敷が細い通りに面して開放されていました。

2007年03月12日

都市のリズム

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集合住宅の南面バルコニーと手前のビルの屋上の空調用室外機が重なってこんな光景が・・・

都市に棲むことは個が規格化されて並列されること。異なる家族がいくつも同じ姿でマトリックスをつくる。空調機械が同一規格で整列するかのように。大型の高層団地ではおなじみの光景。
しかし私たちの生活は多様で変化してゆく。
バルコニー一杯の緑が繁茂していたり、こどもの洗濯物が陽を浴びていたり、アンテナが宇宙を介して放送を受信している。室内もまた全く違う様相のはず。

「規格化」と「多様性」と「可変性」と「保守性」
普通ですが、4つのキーワードで柳川の賃貸集合住宅を考えています。
ゆったりとした50㎡のワンルーム。
シングルで少しリッチに暮らす。
一部をオフィスにしてSOHOも可能。
若いカップルなら寝室を独立することができる。
子供ができても小さいうちは寝室を広く使って一緒に寝れる。
少し大きくなったら2寝室に仕切ることができる。
水廻りの配置の工夫と可動家具によって、規格化しながら住まい手の住まい方に柔軟に対応できるそんなプランを検討中です。空家率を減らせると思うのです。
そしてもうひとつ、建て主にとっては建物の耐久性能と保守メンテナンスのしやすさが重要です。
竣工後、12年、24年、36年の大きな節目に必要になる改修更新コストを合理的にすることが設計のテーマです。

2007年02月03日

続・いちばん素敵な公共建築

星野村茶の文化館/ホール
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ホールの床には瓦が敷き詰めてあって、天井にはスノコのように木の角材が張られて緩やかにうねっている。間をコンクリートで持ち上げられた木の柱が林立している。
ここで4人のミニコンサートを開いた演奏家が「この小さなホールは音の響きが気持ちよくて、また来たいなあって思っちゃうんです。」
星がきれいに見れるように、街灯が消してある村の暗い小さなホールで、クリスマスに聞いたクラシックはいつまでも心に残りました。

いちばん素敵な公共建築

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星野村茶の文化館

星野村の今の村長さんが村役場の課長さんだった頃、「電話線は心ば運んでこんけん。やっぱし、会って話さんと伝わらんね。」
設計打ち合わせで村に何度も訪れるうちに、設計集団櫂の古賀士平は「星野は品格のある村やね。」

私が知る数ある公共建築の中で、今でもいちばん気持ちがよいのはこの「星野村茶の文化館」です。

建築家は茶道にも詳しい首藤泰比呂。茶畑の朝霧や、棚田や、杉木立をイメージした建物は十分に清々しいのですが、圧巻は外構と植栽です。杉木立の森を切り開いて、敷地全体が建物と一体になっています。あたかももともとそうであったかのように・・・。
アプローチの小路の樹々、茶室の庭、ホールの内庭、そして建物の土台となる大きな熊笹の斜面。建物の基部は星野川に露出している青石を積み、胴部は杉板張り、屋根は金属板で大きく緩やかにたなびいている。

「天拝山の渓谷を登るとあたり一面いたるところに建築や植栽のデザインソースがあるよ。」元ワンダーフォーゲル部の首藤さんは言っていた。


公共建築に限らずいつまでも心地よい建築は地域を愛する人々と、建物を使う人々と、建築をする人々との出会いの中ではじめて可能になると感じます。

2007年01月24日

いちばん素敵な教会

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アチコチふらふらしていた間に心にためていた、いろんな「いちばん」を紹介します。

まずは、長崎県西彼杵郡大野町にある小さな小さな石積みの天主堂「大野教会」です。
村長がいちばん好きなカトリック天主堂。シャルトルより良いです。

西彼杵半島の西海岸は東シナ海に面して日本でいちばん夕日のきれいなところ。
緩やかに湾曲した真一文字の水平線にでっかくて真っ赤な夕日が沈みます。
若者たちの車でのデートコースに最高!
年寄りの村長さんは輝く西方浄土からの光に、つい手を合わせて・・・

夕日が沈む水平線には五島列島が連綿と並んでいます。
かつて幕府や新政府の迫害を逃れた信者さんたちがここから海を渡ってゆきました。
そして五島の数多くの入り江にたくさんの教会が建設されました。
村長は若い頃、西彼杵半島や五島列島の天主堂建築を研究調査していたのです。
西海の木造やレンガ積みや石造やRC造のたくさんの天主堂を訪ねたけど、ド・ロ壁
という名の石積壁の木造のこの大野教会が大好きです。
沈む夕日に染め上げられる段々畑の斜面の木々に囲まれて、白いマリア像がなけ
れば、教会とは判らないほどの小さな建物です。
数年前に訪ねたとき,下の畑で草取りをしていた信者さんに話を聞くことができました。
「信者はもう3軒しか無かとよ。年寄りばっかいやし・・・でもお御堂のお世話は嬉か
もんねー。いつまで続けらるっやろか・・・。」去年友人たちと訪ねたときにはあたりに
人の気配はありませんでした。
今は長崎県の重要文化財に指定されたのかな?修復工事の跡ががありました。

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これがド・ロ壁。鬼瓦には十字架。


建築家は印刷技術、農鉱業、土木、建築、医学、薬学等を学び、パリ大学で神学を
専攻したド・ロさんというフランス人の神父さんです。ド・ロ神父は布教だけでなく、この
地に産業を興し、教育を施し、本を出版し、病気を治して、建築をつくったスーパーな人
なのです。
実学なら何でも来い、生活に必要なもの何でもつくっちまうぞ!みんなで豊かになろう!
村長はそんな感じを想像して、建築家ド・ロさんが大好きです。