2008年07月14日
2008年07月09日
喫茶呼
星野村「茶の文化館」です。
設計集団櫂の首藤さんがが提案した「茶の文化館」の基本コンセプトは”喫茶呼”でした。
「あなたを歓迎いたします。どうぞお茶をおあがりください。」というような意味です。
場を設え、お茶を点て、客をあたたかくもてなすことが、茶の文化だと考えました。
玉露の里に流れる朝霧をイメージして外観が設計され、
星野の谷の杉木立をイメージして内部が設計され、
あたかもお茶室へ客を導くように動線や庭が設計されました。
施設がオープンしてしばらくは、ホールに多くの展示物がありましたが、
久しぶりに訪れた茶の文化館のホールは、展示物が片付けられて、
「すすり茶」を楽しむ人々でいっぱいでした。
山の景色や谷の景色を楽しみながら、ぬるく甘いお茶をすする。
村の奥さん達が工夫してくれたお干菓子をいただく。
4度楽しんだ玉露の葉は、最後にポン酢で食する。
村の人たちのおもてなしを、ゆったりとした気持ちで受け取っていただく。
ここでしか経験できない時間が流れている。
設計時に構想したように建物が使われ、運営がさらに進化してゆく。
帰り際にもまたバスが着いて、若い人たちが、文化館への石畳の路地を楽しんでいました。
2008年07月08日
しゃくなげ
星野村から峠を通って浮羽に抜ける道沿いに、広内・上原地区の有名な棚田がある。
棚田を見下ろす好位置に小さな展望所と直売所ができていて、昔の美人(おふたりの自称)が笑顔で迎えてくれた。
つい先週この棚田の田植えがあって、それはそれは大変な賑わいだったそうな。
棚田が田植えの人で溢れている風景も壮観だったでしょう。
惜しいことをしました。
昨晩、親父は昔来た星野村で大きなしゃくなげを見つけて、お袋と茶店で茶を飲んだ話を懐かしそうにしていた。
それから何度か星野を訪れて、その大きなしゃくなげを探したけれど、場所を思い出せなくて、ずっと悔しい思いをしていたって。
長崎市から五島に引っ込んでからはもう星野に来ることはなくなったけれど、お袋と一緒に見たあの大きなしゃくなげを忘れられないと。
朝、池の山荘のフロントで、しゃくなげ園の場所を聞いた。上流に5キロほど登ったところの道沿いに、しゃくなげ園はあるけど、もう花はないですしね・・・といわれた。
しかたない、茶の文化館開園までの時間を棚田見物でもしようと、耳納山越えのこちら側に来てみた。
棚田を過ぎてすぐ、助手席の親父が「おっ!おっ!」と声を上げた。
棚田のすぐそばの道沿いに、その大きなしゃくなげはあった。
もちろん花は終っているが、道路にこんもりとせり出している。
そばに清水が湧き出している。
しゃくなげの向かいには小さなお茶屋がある。
団子とお茶をご馳走になりながら、また親父はお袋との昔なつかしい話を、孫たちに聞かせている。
来年はひとりでプリウスを転がして、このしゃくなげに会いに来るという。
あたかもお袋に会えたかのように、84歳になる親父は嬉々としていた。
2008年07月07日
梅雨明け
あんなに降り続いた雨が上がって、いきなりの梅雨明け宣言の日はきれいな夕焼け。
嫁に行った長女と、出稼ぎに行った次女と、遊びに行った三女がそれぞれ福岡に戻ってきて、四女のバイトもお休みで、五島の親父も船とバスを乗り継いでやってきて、久しぶりに家族揃い踏みでした。
2008年07月02日
取っ手
今から77年前、パリ郊外ポアシ-に建てられた住宅のドアの取っ手です。
螺旋階段とスロープのある廊下から、リビングに入る、細いスチールフレームのガラスドアに付いています。
この住宅は世界中から見学者が絶えないので、取っ手のクローム鍍金は磨かれたように光っていました。
「建築はね、まず手に触れるところから大事につくってゆくんだよ。ドアのノブ、家具の引き手、手摺や蛇口やスイッチ。それらに触れて、しっかり造ってあったら、建物全体がとても質の高いものに感じられるんだ。人の手に、人の目に近いものから、順にちゃんと気を配らなければいいものはできないよ。」
師匠の口癖でした。