母の里
母は隣村の榎津の出身でした。
私が小さな頃は大きな船が着き、旅館や店や学校があって、賑やかな場所でした。
ここの中学校で父が、小学校で母が教師をしていました。
村長はここの保育園を中退しました。「山学校」が中退の原因だったそうです。
向こうに見えているのが「魚目」の湾です。湾の奥に父の集落があり、高校があります。
「魚目」とは無数の魚が入り込んで、海面が魚の目でキラキラと輝いている豊漁の入り江を意味しています。
母の親族はもうこの村には残っていません。
囲炉裏端で小さな私を抱いて座っている祖父の面影を覚えています。
母の部屋はいつもきれいに片付いて、いろんな想い出のものが飾ってありました。
なんでも父が最初に始めるのですが、いつの間にか母のほうが上達していました。
ゴウヤをつくったり、鵜骨鶏を飼ったり、蘭を育てたり・・・
母は花つくりの天才でした。