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2007年08月27日

8月25日平和台花火大会

今年の花火大会もたくさんのお客様が来てくれました。

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照明デザイナーの山本さんは明るいうちから・・・
ハルト君はお手製のくじを持ってきてくれました。

斉藤事務所の徳さんワークス展示をフルに楽しんでくれました。

中川さんの奥様はスタッフ全員のT-シャツを設計製作してくれました。
村長の奥様は得意のから揚げを持ってきてくれました。

浴衣姿も色っぽい「ケイちゃん」と「アズ」。
ふくおかNPOセンターの「吉富くん」と飛鳥工房の「ジュンちゃん」。
デザイン機構の「アラタくん」と城戸君のフィアンセ「のんちゃん」。
ミッション(家具)の森岡さんとそのお友達。

「月の船」の永嶌先生はランニング姿で奥様と。
バンコさんもご家族で。

ほんとにほんとにありがとうございました。

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事務所の片付けと展示と料理つくりと運営に張り切ってくれたワークススタッフのみんなごくろうさまでした。

おかげで楽しい花火の宵でした。

2007年08月17日

母の里

母は隣村の榎津の出身でした。
私が小さな頃は大きな船が着き、旅館や店や学校があって、賑やかな場所でした。
ここの中学校で父が、小学校で母が教師をしていました。
村長はここの保育園を中退しました。「山学校」が中退の原因だったそうです。

向こうに見えているのが「魚目」の湾です。湾の奥に父の集落があり、高校があります。
「魚目」とは無数の魚が入り込んで、海面が魚の目でキラキラと輝いている豊漁の入り江を意味しています。
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母の親族はもうこの村には残っていません。
囲炉裏端で小さな私を抱いて座っている祖父の面影を覚えています。

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母の部屋はいつもきれいに片付いて、いろんな想い出のものが飾ってありました。

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なんでも父が最初に始めるのですが、いつの間にか母のほうが上達していました。
ゴウヤをつくったり、鵜骨鶏を飼ったり、蘭を育てたり・・・

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母は花つくりの天才でした。

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父の家

子供たち3人がみんな結婚し、父とは母は16~17年前に長崎市を引っ越して島に帰っていきました。

祖父君神社の後ろの田んぼを埋めて、平屋の家を建てました。

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父は新しく買ったボートで毎日釣りに出かけ、母は毎日庭で花木を作っていました。
孫のためにとボートにはトイレもついていましたが、孫たちは一度で船酔いして、二度とボートには乗りませんでした。いつも帰郷した弟が父の釣りに付き合っていました。

母が亡くなってから、庭の花も寂しくなりましたが、今では父が花の世話をしています。
「お母ちゃんのようにはうまくつくれんなあ・・・」とつぶやいています。

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父の家の設計条件は平屋であること、40坪未満であることの二つでした。
アイ○○ホームで父が設計を進めていたものを村長が取り上げて、設計し直しました。
だって、父の設計では母の家事室が家の真ん中の陽の当たらない場所だったものですから・・・

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玄関ポーチには今年買った耕耘機が置いてありました。
また何か企んでいるのでしょう。

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雑草もみんなひっくるめて、ジャーッと草刈機で庭の芝を刈るのも父の運動です。

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庭の東の畑には例年サツマイモを植えていますが、今年は半分だけでした。
父の作るサツマイモは時々ワークスでもおすそ分けしますが、とても人気です。

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平面は東に寝室があって、真ん中に8畳の和室と、西側にリビングがあります。
寝室の北側に父の書斎があって、ダイニングに畳敷きの母の家事室があります。

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西側のリビングには寒がりの父のために暖炉が備えてあります。
時々村長も薪割りをしますが、なかなか様になりません。

ぶどう棚の下が車庫になっていて、何故だか今年は新車のプリウスがおいてありました。
83歳の高齢者によく新車を売りつけたものだと親戚が笑っていますが、父はTOYOTA車の最新装備を操作して嬉しそうです。 父は道具フェチなのです。

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庭の南側は祖父君神社の大きな木立が繁っています。
何時だったか神社の木が越境していると怒って、父は大きな楠の枝をクレーン車を入れて切り落としていました。

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母が亡くなって1年ほど元気がなかった父も随分元気になりました。

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墓参り

墓は必ず入り江を見下ろす高台に在ります。

集落から墓までの坂道を毎日犬と往復するのが父の運動です。

最近墓の上に林道ができて(離島振興法によるのか緑資源機構によるのかわからんが要らんもの。)墓の上まで車で行って、ズルして近道ができるようになりました。
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五島では13,14,15の3日間続けて墓に提灯をともします。

花火を打ち上げて遊ぶ子供たちの数も年々減ってきています。

下の波止場には3年前までは父のボートが繋いでありました。
父(真一)と母(喜代子)の名前を取って、「まき号」と名づけていました。

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顔見知りの人たちが線香を持ってアチコチの墓を参ります。

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家の座敷の軒先には迎え灯篭がつるされています。

集落の多くの家では座敷が通りに直接面していて、仏壇の前に並べられた提灯が通りを照らしています。
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青砂ヶ浦天主堂

島の北部青砂ヶ浦の入り江に島で最も大きな天主堂があります。
故郷の島だけで30近い教会建築が残っています。
陸上交通の発達していない時代に、信者さんが暮らすひとつの入り江ごとにひとつづつ教会が造られました。
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青砂ヶ浦天主堂は西の港青方の大曽天主堂、東の頭ヶ島の頭ヶ島天主堂と並んで3つの素晴らしい建築作品です。
1910年に建立されました。
頭ヶ島天主堂は石造ですが、青砂ヶ浦と大曽は煉瓦の外壁です。
建築的に正確に言うと木軸煉瓦積みの構造になっています。建物の骨格は木造なのです。
大曽はラウンドアーチ(ロマネスク様式の特徴)ですが、青砂ヶ浦はポインテッドアーチ(ゴシック様式の特徴)です。
ともに鉄川与助の設計施工です。

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青砂ヶ浦でもマリア様は人々の暮らす入り江をやさしく見下ろしています。

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私がこの天主堂を実測した30年前は、ステンドグラスの枠が木製だったような、ガラスももっと素朴なものだったような記憶があります。
鉛の枠できれいな色ガラスがはめられたステンドグラスは単純で素朴な意匠は変わっていません。

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日本の西の果ての小さな島に、こんな教会が存在することが不思議な気がします。
しかも100年も前から・・・
そしていくつも、いくつも・・・

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久しぶりに青砂ヶ浦天主堂を訪ねたのは雲の多い小雨がちらつく日でしたが、強い夏の陽射しがステンドグラスから差し込んで、堂内を輝かせていた30年前の感動が蘇ってきました。

30年前実測が済んで、卒論の相棒長沼くんと、窓から見える入り江の海にフリチンで飛び込みました。

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私の故郷は百程もある五島列島の島々の中で最も大きな島です。
でも福江島と違って平地はほとんどありません。
急な岩山がストンと海に落ち込んでいて、人々は山と海の堺のわずかな土地か、あるいは山肌を開いて暮らしています。
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私が生まれた頃に初めて島にバスが通ったと聞いています。
それまでは大量な交通手段は船と馬車でした。
みんなが「馬車屋」と今でも呼ぶ親戚の家があります。

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船が着ける入り江にはそれぞれの集落がそれぞれの姿をして、背の低い照葉樹の森と共生しています。

大きな入り江は太古の時代から開かれていて、中国へ渡る勇気ある人々の発進の地であり、苦労の末に喜びとともに帰着する地でした。

中国側に面した青方の港は私が子供の頃は大きな遠洋漁業の基地で、大漁旗に彩られた無数の漁船で賑わっていました。

佐世保に面した有川の港は、鯨取の技術者集団による大きな根拠地でした。南氷洋まで鯨を取りに出かけた船の乗組員の多くが有川の漁師だったそうです。

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後からこの地に渡ってきたキリシタンの集落は概して波止場から奥まった山の手に開かれています。

2007年08月16日

里帰り

今年の盆休みは一人で佐世保からフェリーに乗りました。

佐世保港の新しいフェリーターミナルは、著名な建築家北川原温さんの設計による建築です。建築設計競技(デザインコンペ)で提出された案がストレートに実現されています。

北川原さん設計になる「銀色の倉庫」が長崎市大波止の港にあります。高松伸設計の(とても利用しにくい)「巨大係留ビットフェリーターミナル」やマイケルロトンディ設計の「オレンジ玉の倉庫」と並んでにぎやかな港の景観ですが、その中で「銀色の倉庫」はなかなかシブイです。

ちなみに北川原さんデザインは福岡市の薬院にもあります。当初不動産会社本社屋、その後コンヴァージョンしてホテル、現在はさらに変身して老人介護の会社になっています。

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佐世保新港ターミナルは付属駐車場の屋根が緑化されて芝張りになっていて、地面からスロープで上がれるようになっています。
そのガラス手摺です。

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佐世保から故郷の島まではフェリーで3時間ほどの行程です。

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2007年08月06日

ciel et soleil

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ワークスの真下の1階には魅力的な子供服のお店があります。

「ciel et soleil」

お隣の女性服のお店「ambiente」や少し離れた「cozy」のオーナーが経営する姉妹店です。

通りにアルミ製のテーブルと椅子を置いてあります。
石ころにメッセージがペイントされていたり、小さな縫いぐるみがカラフルに並んでいたり、いつも、かわいい店が活き活きしています。
もちろん商品の子供服もセンスよくセレクトされたものでお客さんが絶えません。
なんといっても、店長のおねえさんの笑顔が素敵です。

窓辺に、グリーンの壜にオレンジの花が活けてありました。
前の通りは自転車で通る人がとても多いのです。

2階のワークスにも、ときどきお店と間違えて、通りがかりの女性がノックすることがあります。