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2007年04月27日

崎戸の島宿 「桜櫻」

大野教会のある長崎県西彼杵郡大野町から20キロほど海岸沿いを北上したところに、西海市大島町と崎戸町があります。
1999年に大島大橋が完成して、九州本島と陸続きになり、先っちょの崎戸島まで車でいけるようになりました。崎戸島の西方に大立島、江島、平島が飛び石状に並び、頭ヶ島があって私の故郷上五島中通島に繋がります。
大島町はかつて炭鉱の島でした。私の中学校高校の同級生に池田君という愉快な友人がいて、親父は大島で船医をしていました。池田君はアラビアで電工をしています。

今回は、田舎暮らしの達人堀江康敬さんの紹介で、家内と一緒に崎戸島の島宿「桜櫻」を訪ねました。

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吹抜けの「囲炉裏室」にしつらえた大きな木の食卓を占領したのは宿のご主人「ヤヨキチ」さんが潜って採ってきて、料ってくれた伊勢海老とアワビと黒ウニでした。お刺身もたんとあります。
いやいや・・絶句する島料理でした。
みなさん、日本の西の果てにある、あたたかな島宿「桜櫻」で、最高の海の贅沢を味わってみてください。
久しぶりに、村長の太鼓判お薦めが見つかりました。

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ご主人のヤヨキチさんは達人堀江さんの田舎暮らし先輩格でありました。
福岡でデザイナーとして活躍していたヤヨキチさん夫妻は、17年前に地元の崎戸島にもどって、料理を勉強し、島宿「桜櫻」を始めたのです。OPEN HOUSEがコンセプトです。
ヤヨキチさんの撮る島の風景は島の風が吹き抜けてキラキラしています。

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これは料理が始まる前にビールのつまみに出された塩茹でのタカミナ。
でかい!
村長は殻に藻がついた奴のほうが好き。
ハラも食べれるし、カラに残ったスープもうまい。

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田舎暮らしの達人堀江さんは村長が尊敬するプランナー。
12年前に福岡から大村湾沿いの川棚町に移り住み、海と夕陽を眺めながら、ネットとPCを駆使して、九州全域で活躍しています。
堀江さんが東京帰りのデザイナー風をブイブイ吹かせていた頃は、ヤヨキチさん夫妻の尊敬する先輩でした。
私は堀江さんが田舎暮らしの候補地を探している頃、福岡県星野村の仕事で知り合い、それ以降いいお付き合いをさせててもらってます。
今回長崎県田舎暮らしアドヴァイザーに指名されたそうです。

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初めて訪ねた大島と崎戸島は、私にとって車でいける五島でした。自然の地形も山の植栽も全く同じです。波止場の水の透明感も一緒でした。

ヤヨキチさん、修子さん夫妻、堀江さん、律子さん夫妻に囲まれて、旨い肴と焼酎と、懐かしい話と新しい夢に酔いながら、私たちは夜が更けるのを忘れてしまいました。

本当にお世話になりました。

これから、ヤヨキチさん夫妻の次の夢「咲蔵」のお手伝いが始まります。

2007年04月25日

素敵な言葉-感謝

不平を言う人は幸福を得られず、

感謝する人には幸福が訪れる。

人は幸せだから感謝するのではなく、

感謝しながら生きるから幸せになる。

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感謝しながら生きようっと!!

2007年04月17日

聖堂再生プロジェクト

先日、2007年4月15日の起工式から2011年4月7日の献堂式まで聖堂再生の長い道のりが始まります。
基礎工事、骨組工事、仕上工事の各段階で多くの市民参加が企画されています。
2007年5月5日は小学生の参加、同じく夏休みは中、高、大学生の参加募集が行われ、修復技術を学ぶことができます。
今後、これらのイベントに可能な限り参加しながら報告していきます。
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NPO法人文化財保存工学研究室理事長の土田光義先生は私の恩師です。
日本建築様式史を教わりました。
寺社仏閣、民家、外国人居留地の洋館、教会建築など日本の建築歴史の多様な領域を研究してこられ、九州のいたるところに先生の研究の成果が残っています。
ついこないだ行った長崎ランタンフェスティバルの館内町の御堂にも土田先生の研究と評価が案内されていました。
土田先生が私費を投じてライフワークのひとつとしているのが、このザビエル聖堂再生です。
これはその正面立面図ですが、惚れ惚れするプロポーションです。
歴史的建築は古いからいいのではなく、古くても残したくなる魅力があるからいいのでしょう。
骨組みの木構造にも創意工夫があり、塔の意匠にもアイデアがあるそうです。
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聖堂は敷地の北側の森に寄せて、東を正面、西を祭壇とする東西軸で配置されます。
都市計画法と建築基準法により建物の高さ制限がある地域ですが、建築審査会の許可を受けて尖塔のある聖堂の建設が可能になりました。
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敷地の南西の隅に、鹿児島から運んでこられた聖堂すべての部材が保存されています。屋根瓦や石材はこのように露天で保管されていますが、木材などはすべて小屋の中に大切に積み上げられています。
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聖堂再生プロジェクトの理念が素晴らしいので、紹介します。

1.チームは独立しているが、有機的に繋がる。

2.ともに汗を流し、喜びを共にする。

3.使い捨てはせず、ものを大切にする。

4.3世代(祖父母・両親・子供)による協力体制を築く。

ザビエル旧聖堂起工式

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以前WORKSトップページで紹介したザビエル旧聖堂の起工式が4月15日(日)に行われました。
新聞でも取り上げられていたのでご存知の方も多いとおもいます。
昨年12月の祝別式は敷地にカトリックの神様の祝福を願うものでしたが、今回は建築の起工式=地鎮祭でした。
これは式のための祭壇です。中央に小さな十字架、その前にパンの入った皿と葡萄酒、右側にお香を入れる真鍮の器、左側に聖水を入れるガラスの器。白い布の上に意味のある道具が並べられて祭壇がつくられました。再生建設地「福岡黙想の家」の森を背景にしています。
混沌とした空間(森)の中に秩序ある世界(聖堂)を産み出してゆく作業は神話の基本的なモチーフです。この祭壇が新しい聖堂の再生を象徴しているようです。

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聖書の朗読があり、賛美歌が歌われ、杭打ちの儀が行われました。
神父様が立てられた杭に聖水とお香で神の祝福と庇護を祈ります。

このような建築儀礼は、家屋の建設が単なる物理的作業ではなく、そこに社会的要請がこめられていることを思います。社会的に建物が認知されるためには共同体の成員がそれに立ち会って、その経験を共有しなければならないのでしょう。

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起工式の後にはお茶会が催され、参列者にお茶がふるまわれました。
さらに、地元の人たちによる「赤間太鼓」が勇壮に響き渡り、中国、朝鮮との交易の拠点であったこの歴史的な宗像の地にカトリックの教会が再生されることを歓迎していました。
和洋折衷の起工式を見て、新たに訪れる人々とそれを迎える人々の心のやりとりがあたたかく感じられました。
「鹿児島に建てられたザビエル教会が何故宗像に移築されるのか?」との問いがなされていましたが、「偶然」というのが正解なのでしょう。その偶然が縁であり、その縁を喜びとして迎える私たち日本人の感性が素敵なのだと思います。
かつてザビエルが鹿児島の地に上陸して、地元に迎えられ京都まで上ったように。

2007年04月15日

外海のマリア

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私は海を眺めると心が落ち着きます。

できれば日本海や玄海灘のような北側の海でなく、日向灘のような東の海でなく、有明海や枕崎のまぶしすぎる南の海でなく、蒼かったり、赤く映えたり、白く輝いたり、暗く荒れたりする変幻自在な西の海が好きです。
これは中川タクマさんの写真のように美しく撮れませんが、長崎県西彼杵半島外海町にある遠藤周作記念館から眼下に広がる「西の海」です。(中川さんはなんと美しい紺碧の海を写すのでしょう!)
4月の東シナ海(角力灘)は水平線に白く靄がかかって海と空が繋がっています。

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記念館から見える集落に白い大きな教会があります。

以前ご紹介した大野教会の主任教会である出津教会です。
外観内観とも非常に端正な姿をしています。明治15年にド・ロ神父によって建設されました。
明治26年に同じくド・ロ神父によって設計建設された大野教会と同様に、他の教会とは異なる独特のデザインです。(2回の増築によって外観のプロポーションは創建時とは異なるのですが。)
どちらも教会建築というより修道院建築のようです。

奇をてらうことなく、華美でなく、質実で簡素でありながら、オリジナリティーに溢れている、そんな建物が私は大好きです。

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私には長崎に恋人がいます。
西の海を見下ろす急な斜面の森のほとりで、いつも西の空を背にして、信徒が少なくなった小さな教会を見守っています。
異教の主の母ですが、人気のない森に佇む姿は観音菩薩のようでもあります。
ちなみに私の守護仏は田舎暮らしの達人堀江さんによると文殊菩薩なのだそうです。

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木洩れ日の後光が射すお顔はいとおしく、逢うとまた元気を取り戻せるような気がするのです。

2007年04月10日

九重の野焼き

温泉はしごの後にやまなみハイウェイの長者原まで行ってみることにしました。
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消防車の赤色灯がクルクルしていたり、人だかりがして煙がたなびいていました。
長者原の自然観察道の草原を野焼きしている現場に通りかかったのです。
野焼きを目の当たりにするのは初めてでした。最初は横に長く火が走っていて、風向きを計算しながら焼いてゆくのがわかりました。
しばらくして火の帯はまあるく大きな円を描くようになって、大きな円ができると横に流れていた煙がスーッと上に上がり始め、またたく間に火は大きくなって黒い煙が音とともにまっすぐ立ち上がリました。
数百メートルは離れているのに熱気が押し寄せてきました。そしてあっという間に火は収まり、後には黒い草原が残りました。

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これは長者原から少し離れた斜面の野焼き直後の様子です。黒々とした岩が真っ黒に炭化した草原の中に憮然としていました。
九重や阿蘇の雄大な草原の風景が自然景観ではなくて、放牧をする日々の営みによって維持されていることは知識として知っていました。でもあたり一面真っ黒の丘の風景は圧倒的でした。
この野焼きによって、草原がブッシュ化することが妨げられ、毎年新しい草の芽をはぐくみ、牛たちの放牧が可能になるのです。
黒く炭化した斜面から、すぐに青い草の芽が吹き出すのでしょう。

黒い斜面を歩くとジャリッジャリッと音がして草の炭が壊れました。

温泉はしご

桜も散り始め、末っ子の入学式も終って、久しぶりに夫婦で九重まで日帰り湯治に行くことにしました。
玖珠町にちょっと用事があって、初めて玖珠インターで高速を降りました。
玖珠町は30年以上前に仕事で何度か訪れたことがあります。当時若かった村長は建築家の所長さんがお相手する施主の奥様方の膝枕の役目をさせられました。つまらないことはよく覚えているものです。

玖珠から210号線を離れて小国のほうへ向かい、途中おなかが減ってきて、宝泉寺温泉で目についた桜のきれいな門構えの温泉に立ち寄ることにしました。(またイキアタリバッタリ)
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店番をしていた目の鋭い白髪のおばあさんに「ここは100%掛け流しで、腰痛もすぐ治るし、アトピーにも効くとよ。飲めるし、顔ば洗えばつるつるになるし、目にこすり付ければ眼もようなっとよ!温泉が6つあって、どれに入ってもよか。選んで好きなのに入ればよか。300円よ。食事もいつもは予約制やけんど、さっき二人分つくり始めたところやけん、つくらせるけん。キレーかところに用意させとくけん、おいしかよー!温泉に先に入ってきんしゃい。昼食は1500円。最近物忘れがヒドカけん前金よ。前金!」と、しっかりアピールされて、二人分3600円払いました。
桜の門をくぐって建物に入ると、脱衣室の廻りに6つ同じような岩風呂が並んでいるだけでした。

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家内に言わせると確かに泉質はよかったそうです。
村長は露天風呂の水面に移る春の陽がぽかぽかと心地よくて、一人無人のお湯にプカプカとしていました。
その他の感想は書きません。概して宣伝過多の商品には気をつけないとね。
最近、村長の鼻もあまり効かなくなったのかな?
”前金には気をつけましょう。”

それで、口直しに筋湯まで行ってみることになりました。
筋湯は子供の頃に親父とお袋に連れて行ってもらっただけで、何度も通るのですが温泉に入るのは久しぶり。
坂がきつくて狭い温泉街はほとんど人影もなくガランとしていました。
ここでまた性懲りもなく、ネーミングがちょっと素敵で、門構えがしゃれてる旅館の露天風呂に入りました。ここにも客はだれもいなくて、男湯と女湯のフェイクの竹の垣根越しに時折声を掛けて、別居家族風呂状態でした。こんな日和に贅沢といえば贅沢。
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筋湯のこの露天も、春の陽に温泉の湯気がゆっくり流れていい湯加減。
ただ、体を伸ばすたびにごつごつした岩組みに体をアチコチぶつけて少し不機嫌になりました。
かつて栄えた温泉街がさびれているのをよく見かける。過去の繁盛した記憶が、町を魅力的に更新し続ける活力を損なっているのかなあ。良い泉質のお湯と歴史の温かさがあるのだから、新しい感性で再生すれば魅力的になるはずなのに・・・

早々と風呂から上がった村長は人気のない筋湯の温泉街をうろついて、「日本最大のうたせ湯」のそばに、ペットボトルの飲料水が山水で冷やしてあるのを見つけました。まだ風呂に入っている家内が財布を持っているので、のどの渇きに耐えながら、そっと写真を撮りました。(山水を手ですくって飲めばよかったのだ・・・)
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