祖父
2月4日は私の祖父の25回忌で上五島に渡りました。
庭には母が大事に育てていた何種類もの椿の花が暖かな冬の日差しの中で輝いていました。
働き者の祖父は93歳で亡くなりました。
日露戦争に出兵し台湾で働いて、敗戦で上五島に引き上げてきた時はまだ40歳代、父は二十歳でした。
離島の農家に生まれ,新天地の運輸会社で丁稚奉公から重役になるまでの前半生と,郷里に戻り農業しながら島に暮らした後半生でした。
わずかな水田と点在する畑と急斜面の山といくつかの家屋と、都会で暮らす子供達や、半農半漁の島民の暮らしを気にしながら、いつも体を動かしている人でした。
描いてくれる絵は水平線にタケノコ島とホカケ舟。
早くに連添いをなくした人でした。
信心は無かったけど、戦争で亡くした長男を祀る護国神社に毎年参っていました。
孫たちを厳しくかわいがってくれた人でした。
舞が総領の曾孫でした。
ところで、五島にあるほとんどの教会が大工鉄川与助の手になるものです。
鉄川は日本伝統の大工技術を駆使して、本来石造の意匠であるカトリックの教会を次々と実現していった類まれなる建築家です。
材料や工法の研究に、当時、五島から東京帝国大学まで足を運んでいたようです。
鉄川は私の祖父と同郷で仏教徒です。
彼が建築した教会を含む「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が 文化庁の世界遺産の暫定リストに載りました。
鉄川与助の孫娘は私の中学の同級生です。
魅力的だった(今もきっと魅力的なのだろう)彼女が描いている「おじいちゃんが立てた教会」を紹介します。
http://www1.odn.ne.jp/tetsukawa/